この数ヶ月というもの、私たちの常識は一変した。コロナという名の伝染病に世界中が怯え、世界中の国々が国を挙げて国民を守り、そして国民はそれに従い、できるだけの事をしてきたと思う。これからもその政策は続けられるだろう。
そしてそのストレスを吐き出すかのように、アメリカではある事件をきっかけに人種差別の抗議、それが暴動と発展した。
本来平等を唱えるのなら、抗議をすることも必要ない。劣等感がなければ優越感もない。自分が人種差別を受けたと感じた事は無い。人種差別ではなく、それはただの国境、組織の守るべきテリトリーの侵害を防ぐ何かが働いた時で、そこに年齢や、性別、国籍(人種)などが一括りで示された時に生じた出来事に過ぎないと思っている。人種差別は自分自身が起こしている錯覚。
まだ音楽家になろうと必死だった時期、同じ音楽学生仲間が言った。
”自分は音楽家で本当に良かった。間違っても音楽で人を殺めたりしない”
私は自分の職業についてそんなに深く考えたことはなかったが、進路を決める中学生の頃の母のある言葉を思い出した。”あなたはちょっと抜けたところがあるから、間違っても医者や弁護士になって、人を傷つけることがあってはならない” 結局その二人の発言は、同じことを言っているのだろうか。私には私の追える範囲での責任を、できる範囲での社会貢献を果たせる職業に就けた事を幸せに思っている。
今月6月14日をもって、半世紀の誕生日を迎える。それを記念に第3の人生、精神世界に生まれ変わったと思って、このブログを始めることにする。(第2の人生は、32歳の時子供を授かり、そのお陰で肉体の自由を手に入れた時に始まった。これはまた後ほど日を改めて書くことがあるかもしれない)
これまで、常に争いを避け、そのために敵味方を作ることを恐れて、仲間と呼べる存在さえも極力作ることを避けてきた。自分さえ中庸を守る覚悟があれば、自分の心の内を自分だけの物にしておく理由もないのかもしれない。そして自分と同じような心持ちの人達と分かち合うことができれば、その事自体がお互いの心も平和に、均衡を保った、ただ美しい、愛しい物事を感じて人生を送ることを目的とし、夢となる。
これからも平和を願う独り言のつもりで書いているが、もし万が一にもどこかの誰かの心を傷つけることが起こったとしても、それには全く私の意図と反する結果。