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Special スペシャル という差別?

「スペシャル」と言えば、普通は褒め言葉に使う。でもそう思わない人もいる。

 

最近、差別という言葉に敏感になっている方々も多いと思う。いろいろな種類の差別があるが、少数派に対して起こることで、人が多く絡み合っている世界ではどこでもあると思う。それは時代や環境によって、多少異なるが。

 

私は二人娘がいてどちらも病気知らず。性格も社交的な方なので、世間の皆様から見たら極々普通のちょっとフレンドリーな子供だと思っているに違いない。ただこの『普通』という言葉の定義が、多数決で多い方、、、という見解に沿ってこれから描くことにする。

 

その「スペシャル」という言葉を嫌うのが二女の VITAMIN E (ビタミンE)。幼少の頃から気がついていた。長女のVITAMIN A と全く何かが違う。幼稚園の先生からも、「親が目と手をもっと掛けてあげなければダメでしょう」と、注意された。普段にお生活では全く困ることはないので、何を教えればいい?塗り絵を教える?

意味が全くわからなかった。ただ他の小さなピアノの生徒たちをたくさん見てきたので、何かが違うのは気付いていた。いろんなテストを繰り返し、学校の勉強で著しく普通のスピードについて行けないので、「劣等感をもたないように」「友達からいじめを受けないように」との配慮を頂き公立の特殊学級「スペシャルエド・special education 」というところに、4年生から通っている。読み・書き・算盤 以外は まあまあ「普通」のことができるので、「もうちょっと勉強したら」とか、「我慢が足りないから」とか、「繰り返したくさんやればできるよ」とか、「ちゃんと集中してやればできるよ」と周りに励まされ、色々策を練り頑張ってみたが、やればやるほど気がつくことがある。

これは、片足のない子に100メートル競争を義足なしでタイムを出せということと等しいのではないのか、、、という見方。 脳の構造が他の人と違うため、インプットとアウトプットの仕方が異なるわけだ。ただ目に見えない脳内のことだから、人に分かってもらえない。LD / Learning Disability 『学習障害』と呼ばれているアレだ。だから多数派の脳の構造の子のようには勉強が出来ない。ただそういう子たちの為に居場所設けていてくれるのは助かる。

 

でもその授業内容は普通クラスの数年遅れの内容をさらにゆっくりやるだけで、結局は何か教える方法をすごく変えているわけではない気がする。

そしてそこで覚えてくることは、「私はスペシャルだと悟られたくない」「どうやって普通クラスの子に自分がスペシャルエドに在籍していることをバレないように友達になるか」。「スペシャル」という言葉は差別用語であり褒め言葉ではない、、、ということだ。

 

目に見える差別、目に見えない差別、そして差別をしている自覚のない私たち。

本当の差別に対して目を肥す必要がある。

対処法や、受け取り方も学ぶ必要があるし、訴え方を学ぶ必要もある。