「あなた幸せですか?」
幸福度を聞く質問、最近はとても多くなった気がする。
この質問を私が初めて聞いたのは20歳の誕生日。びっくりした。自分が幸せか幸せではないかなど、全く考えたことがなかったからだ。留学先ですぐ下宿が見つからなかったので、当時は日本の先生の紹介で出会ったミュージシャンご夫婦(現在はベルリンフィルのクラリネット奏者と奥様は日本人女性のフルーティスト)のところに間借りしていた。そこで働く家政婦さんは別のミュージシャン夫婦のところの住み込み家政婦さんだったが、住み込み先での仕事が辛くなるとそっと抜け出して、空き時間を使って外でもお手伝いをしていた。20歳ちょっと年上のその家政婦さんは、身寄りのない私にとってはとても頼もしい存在になった。母と近い年頃のその彼女は女手一つで娘さんを育てて、その娘さんの結婚と同時に海外に出た。キリスト教徒の間で読まれている新聞で「病気で困っている奥さんを助けて欲しい」という記事を見つけ、遥か彼方のウィーンという街に住み込みの家政婦をしにきたのだ。それも英語も、ドイツ語も全く出来なかったというのに。
それから学校の始まるまでの数ヶ月、毎日彼女からお料理を教わり、家計のやりくりを教わり、彼女の子育て中の仕事の話を聞き、キリスト教徒の信仰を教わった。ウィーンはカソリックの国だったので、すごく有り難かった。母方の実家が仏教(禅宗、曹洞宗)のお寺だったので、キリスト教に関しては全くと言う程無知だった。
学校が始まる頃、一人暮らしが始まった。それからも彼女は時々うちに遊びに来てくれたし、クリスマスやイースターなど特に私を同行させたい時は言葉もわからない礼拝に一緒に誘ってくれた。礼拝の流れは一緒だから分かるんだと言って、今はこんな話をしているよとか、次はこれをするよと解説してくれた。とても信心深い信者さんだったけれど彼女は宗教については全く語らなかった。ただただ彼女の信仰を見せてくれた。巡礼に行った時の話なども興味深く、マリア様の話をする彼女はとても気持ちの良いものだった。
その彼女は言った。「本当に幸せな人は、あなたは幸せですかと聞くことはないし、自分が幸せかどうかなど考えることもない」「この街の人は常に聞いている、、、」と。それから半年もたたないうちに学校に、仕事に、友達付き合いに忙しくなっていくと、彼女とはいつの間にか疎遠になってしまった。代わりにユダヤ人のチェリスト、イラン人の打楽器奏者、ロシアのバイオリンニスト、ドイツ人のオルガニストなどなど多国籍、多宗教、多宗派の音楽学生と、主にカソリック教会のミサで演奏する仕事が増えた。冬の大きな石畳の教会は氷のように冷え切っていて、分厚いコートを着たまま、ロフトのようなところへ裏階段からあがって一眼のつかない場所での演奏。ユダヤ人もいつも被っている帽子は万が一のためにとる。楽器(オーボエ)が割れないように、脇の下で温めながら出番を待った。一緒に奏でるオルガンは古過ぎて、冷えてピッチの下がった楽器よりもさらに低いピッチで鳴っていた。
「あなたは幸せですか?」の次に「あなたは何がしたい?」「あなたは何が欲しい?」と、必ずいつも聞かれた。初めての下宿先で、「何が飲みたい?」と聞かれたときはそれすらも応えられない自分が情けなかった。「何がありますか?」と聞けばいいのに、聞くこともできない。その多国籍の彼らはとても論理的にいつも話した。「何々が欲しい、それは何々だからだ。」と。必ず理由をつけるのだ。自分の子供時代は「理由はいらない」とか「屁理屈はいい」とか言われて育ったから、いきなり意見を求められて、日本語ですら応えられない内容をさらに外国語で答えなけらばならないのが、最初本当にすごく苦痛だった。「意志がない、意見を言えない日本人」と言われることがシャクに触った。
デンマークでは常に幸福度ナンバーワンランキングで上位をキープできるほどの幸せを感じている人が多いらしい。そしてアートが盛んな国。学費、医療費は全てタダ(80歳以上は医療費がそもそも出ない?)若いうちは高い消費税と所得税を払う義務があるが、特に老後が幸せだと。将来の必要最低限の生活が保証されていれば時間という自由を最大限に生かせる。アーティストが育つ環境だとは、理に適ってる。
そして反対に日本は幸福度が低い国だとよく言われる。自殺者も多い。「何がしたい?」「何が欲しい?」にスラスラ応えられるようになったら、幸福度を上げることも出来るのかもしれない。究極の断捨離。「ときめく物はなんですか?」の質問に似ているのかもしれない。