あなたは何か宗教を持っていますか?と聞かれたら「仏教徒です」と答えることにしている。宗教観というのは、「どこの国に生まれたか」「どこの家に生まれたか」「誰に育てられたか」に直結するのではないかと思う。母の実家が仏教のお寺だったので世間知らずの子供の頃はクラスメートのおじいちゃん、おばあちゃんの家も、みんなお寺だと長いこと思っていた。車で20分の距離だったので、子供の頃は月に2回くらいは遊びに行き、畑仕事をする祖父母野分で遊ばせてもらい、論文を書き続ける叔父(大学の先生をしながら中国の古い仏教学の何かすごい研究者だと言っていたが、普段はずっと夏は白い長襦袢を着、冬はラクダ色の長襦袢を着ていた)を邪魔しないようにと、教えられた。夏休みのお盆の時期には、お寺を手伝いに里帰りしていた叔母と従兄弟たちと合宿騒ぎ。朝の5時くらいからお経が響き渡り、ちょっと年上の従姉妹たちは一緒にお経を読んでいた。そして剣道の稽古。そのどちらも知らない私は仲間外れのような気がした。普段私たち姉妹の知っている祖父母でも、叔父でもない。一番近い存在だと思っていたのに、従兄弟たちにとられた気がして、焼き餅を焼いた。母は末っ子だったのと、「お寺の子」と言うだけで窮屈だった子供時代に反発して、仏壇を置いてなかったし、お線香もその従兄弟たちが集まった時だけしか上げたことが無かった。
お経も読めないし、座禅を組んだこともない。本当はもっと仏教について知りたかった。お経も読めない、座禅も組んだことがない、でも宗教観は無意識に入っていくから、そういう記憶と、あの、ほとんど通っていなかった幼稚園もお寺だった事も影響していると思う。
そんな仏教徒で仏教を教えなかった母に、私が一番感謝しているのは「毎晩祈りの時間を持ちなさい」という教え。1日の気付き、感謝、反省などなどのことを日記を寝る前に書き、それを習慣化する。確か小学校3年生くらいから始めたのをお覚えている。大抵は後で読み返すと、これを書いたのは誰?的錯覚を起こす。10歳から40歳くらいまでずっと書いていたわけだけれど、その後子供のことを描く事が多くなって、自分に対しての気づきが止まった。数年間全く変わらない日記の内容。子供の成長を感じられず、辛くなって月に1−2回新しく出会った人がいたら書くくらいの日記になってしまっていた。
今思えば、私の考え方のせいだったと思う。子供の成長の「学校から問題視されていた部分」を解決する事が一番大事だと思っていたのだ。成長していない訳はないのに。。。でもその時はもう、人生の目標がその部分の解決になってしまい、ありとあらゆる事を調べ、実行し、何か成果を期待していた。そして成果がなくて落ち込む。試せる手段がもう無いと分かった時点で、無力感が残った。もう、ただ祈って、どこかの誰かに答えを求めるしか無かった。
2013年の夏、震災後東北の石巻湊小学校を訪ねてロサンゼルス、トーランスで行ったチューリップインハーモニー 主催のチャリティーコンサートで集まったお金を被災地に届けた事がきっかけで、Vitamins に関して祈るのは必要なくなった。
この時は単独でJRパスを使って、アポを取り、向かった。その時に、その学校で働いていらっしゃる星校長先生(当時)や被災地の方々の生の体験談をたくさん聞かせていただいた。その体験のお話は全て命と愛だった。それまで私が子育てと思っていた事は全く優先順位が間違っていた!命と愛の先に来るものは無い!ただただ深く実感した。それ以降は、また日記を書く日常が戻ってきて、さらに言葉以外の音楽が加わった。その時の被災地で伺ったお話の内容は、また別の機会に。
日記も反省文ばかりでは、ネガティブになる。最近では次の日のTo Do List を作るのがポジティフになれて、気に入っている。
このブログも結局は公開日記のような感じだ。印象に残る言葉と、そこから始まる思い出、そして自分の中身との対話。これは気が付いた時に書いている。
自分で解決できないことは祈る。答えや結果はすぐ出なくても、気が付いたらその答えや結果を既に知っていたということは、よくある。