やる気は、どこから来るんだろう。
何かを続けるというのは、ただ楽しいとか、好きというだけでは難しい。どんなに好きな食べ物でも、毎日食べ続ければいつかは飽きが来る。また時には辞めろと言われても辞められないほど、ハマってしまうこともある。
教室での習い事。週に何回か先生のところで教わったりグループで楽しんだりする習い事、個人のスキルを習い成長を楽しむための習い事、またはその両方を兼ねているもの。自宅で音楽のレッスンをしているので、「うちの子が練習しません」「練習をしたくなるようにさせてください」「好きな曲しかやりませんが、どうしたらいいでしょう」〜などなど、そのテーマは毎日のように上がってくる。
特に小さいうちのレッスンや練習の場合は、何はともあれ、みんなで同じ方向を見て進む努力をしないと、進まない。親、子、先生、の3人4脚。子供は正直なので、「やりたく無いー」と言ったり、できなくて癇癪を持ったり、客観性がなくて、出来てるのか出来てないのか分からなかったりで練習というか遊びで終わる。遊びから学ぶ事もあるが、出来ても出来なくても全く気にならなかったり。親御さんも、自分の子供とよその子と比べてしまって焦ったり、できるお母さんは子供が出来て当たり前と思いがちだし、年の近い兄弟姉妹同士の競争心も煽られ、上の子に追い付けないと羨み、下の子に追いつかれたと悲しむ。「この子は教えられません」と先生がなればまた然り。3人一緒に動く事ができた場合、歯車は動き出す。
もしそこで、何かしら空回りを感じているとしたら、3人の力の方向が揃っていない。または一人でも動くことをやめてしまったら、二人の力の負担は相当なものになる。そして興味がないのは、そこに何の感情(エネルギー)も存在しないのと一緒だから、そこからは全く何も生まれない。
どんなネガティブに見える感情でも、実はポシティブの裏返し。好きは嫌いと紙一重。バカと天才も紙一重。同じ太陽を見て昼間は明るいと言い、夜は暗いと言う。同じ水を熱湯から氷まで形を変える事が可能。どちら側を見ているか、感じているかということに他ならない。
例えば「練習が好きになれない」時は、練習をしない=音楽が好きじゃないと決めない方がいい。やり方が分からなくて出来ない場合、できない自分を認めたくないからやりたくない場合、人の言う通りにやるのが好きではない場合、ダメ出しを嫌がる場合、同じことを繰り返すのが嫌な場合。多分これら全部。大抵嫌になる理由はこんなものだから、これらの全部反対をやればいい。やり方が分からない時は、素直に聞く。できない自分ではなく、始めた頃の自分、数ヶ月前の自分と今を比べて、どれだけ出来るようになったか認める。やりなさいと言われてから練習するのは楽しくないから、言われる前にやる。人の言う通りにやりたくなかったら他のやり方を考え出す。ダメ出しを嫌がるのなら、一人でこっそり練習する。または褒めてくれる人を見つける。同じことを繰り返すのが嫌だったら毎回、どこか違うように練習する。かなり頭を使うので、子供が小さいうちは、親はその辺りをうまく誘導できれば3人4脚で走り出せる。もし大人のレッスンなら、先生と二人三脚ができる。先生が親自身という場合もある。こちらは方向性の力は先生兼親のリードする力と、子供がフォローする能力と比例する。
例えば、「好きな曲しかやらない」時は、好きな曲をとにかくやる。好きな曲が弾ければ楽しいし、仮に弾けないとわかれば、「技術が足りない」と気が付く。それを弾くための技術が伸びるための他の教材がサプリメントの役割を果たすと納得できれば他の曲も以前よりは興味を持つだろう。「好きな曲をやめさせる」理由はない。でも、私は生徒に「好きなものばっかり食べると不健康になるから、色々食べた方がいいよ」と伝えることにしている。
ここまでは教室を持つ講師としての、日々の感情のコントロールの例え話。
私は打たれ強くなってしまった。子供の頃から良かれとしてやったことはうまくいかない事も多かったし、音楽の道で行こうと決めてからも、何度も「あなたの音楽は無理です」と言われた。「あなたはこの時代に合っていません。あなたのやりたいことを理解できる人はいません」とも言われた。でも「あなたの音楽に特別なものを感じる」と言ってくれた人達の暖かい言葉の方向に私のエネルギーを、今の私に理解できる方法で使うことにしたから、今をこうして生きている。
ネガティブな言葉を掛けられた時、自分はダメなんだーと落ち込むのではなく、まずはその反対側の感情を見つける。または自分で自分にネガティブな感情を抱いてしまった時も結局は同じ。そんな時はまず自分は何を認めてもらいたかったのか、そして相手の観点の何処を見落としていたのか自己観察。自分というのは一つなのだから、他人の発言で自分の力が増えたり減ったり変わるわけではない。自分の立ち位置がわかったら、そのあと比較、選択、実行。それらが欠かせないステップなのだと思う。自分の今現在の自分の力と、なりたい理想の自分。もしそのネガティブな言葉が、自分の理想と無関係な発言だったら、参考程度にして、それが理想の自分と直結するアイデアだったら、その理想のギャップを埋める方法がわからないから教えてくれる人が必要なのだと、素直に認める。人は鏡。それらが自分で出来るようになったら、先生、友達、上司、兄弟、周りの応援してくれる人たちは、皆必要無くなる。
やる気が起こらないのは、理想・目的・目標が見えなくなった場合にもある。燃え尽き症候群などとも呼ばれる事もあるが、何か大きなことを達成した直後もよくある。
結論を言えば、やる気とは興味と好奇心。自分の持っているエネルギーの中で、アウトプット(行動)とインプット(学習)を上手くフローさせる為に「どんなことに触発されるか?」と、やはり自分の感情に正直になる事が自分を理解するのに一番の近道だと思う。焦りにも似た心が穏やかではないことって多々あると思う。その時は何がそうさせているのか、、、。心穏やかではない感情も、裏返せば自分に何が必要か教えてくれるバロメーター。プラスのインプットエネルギーを得るきっかけに繋がる事もあるだろう。
もっと簡単に言えば、「自分の好きと言う感情に敏感になる」と言うこと。コンサートに出るのが怖いと思っていた子も、きっかけ次第ステージで演奏することが大好きになったり、練習がつまらないと思っていた子が、何時間やっても飽きたり無くなったり。一見ネガティブだと思っていた感情の中に、やる気というポジティブが隠れている。それを操ることができれば、いつでもやる気を呼び起こせる。