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オリジナリティー Originality

オリジナリティーというのに憧れていた。

唯一無二というのも憧れていた。

でも今は憧れではなく、認可したという感じかもしれない。

 

人の真似と言われるのが嫌だからオリジナリティーを見つけたい、という人もいるかもしれない。でも考えてみて欲しい。生まれつき赤ちゃんが教わらないで知っていることといえば、息をすること、泣くこと、ミルクを飲むこと、だけ。後は全部生まれてから真似をしながら学ぶことなのだ。「インドの山奥で狼に育てられた子」の話は有名で、10歳前後の子供が森から救出された当時、二足歩行が出来無かったかったらしい。食べ物は火を通さない生肉。もちろん言葉は交わさない。すべてのことが、周りの人から学んでいる。学ぶとは真似する事。

 

学ぶ能力が、生まれつき(DNA)からどれだけ影響を受けるかを研究をしているチームがあって、1000組の双子を数十年間リサーチした結果を読んだ。一卵性双生児の場合20歳くらいまでは、同じ北アメリカ環境に育てられても違う家庭で育られても、食べ物の好み、背格好、顔つき、運動能力、学校の成績などは、さほど変わりはないらしい。二卵性双生児はかなり差がある。その後は、引き続きどちらの環境に育ったとしても、自分の選んだ職業や環境、人生によって、一卵性双生児は、双子だと分からないほどに、年々顔付きと体格は変わる。晩年の写真がサンプルで載っていた。

DNAがほとんど一緒の双子でさえ、人生はその人が何を見て何を聞き、何を吸収するかで決まっていく。学校に通っている間はみんな同じ教科書を読み、同じような書を読み、同じような話題でテレビや流行の音楽の話をクラスルームでする。会社員になったら、そこでまた周りの人と同じような話題でテレビや流行のファッションや音楽や食べ物の話をして、それぞれのお得意さんの話題や上司の話題に合わせられるように勉強する。何を自分に取り入れたいか、何を真似したいかは、すべて自分が選んで来ているという事になる。

 

そこまで周りに影響を受ける私達だから、世の中は、どこかで見たことがある、聞いた事があるというインフォメーションで溢れている。学校の勉強では読み書きテストでいい点数を取るということがインプットとアウトプットになるけれど、人生では、お料理、アート、ファッション、インテリア、仕事、家庭菜園、スポーツ、芸能や趣味などなど、色んなっジャンルでインプットとアウトプットできる。興味がある事を見つけるのは、ちょっといつもと違うものを見たり聞いたりするだけでいい。それに評価は自分次第。ビジネスの方は数字次第?

 

オリジナリティーって何?ということだけれど、クラシック音楽や伝統芸能を身につけるためには、極力パーソナリティー・個性を消し、そのスタイルを模倣することから始める。武道もそうなのだと思う。こうあるべき型があり、それに近くなるようにとにかく真似する。体の使い方も、それぞれの違いを知りつつできるだけ先人の知恵を受け継ぎ、書かれた音楽、楽譜というものに近付けるように最善を尽くす。そこに内なる感情が入り、かつその感情や個性が作品と演奏者自身を殺さないように、でも外に溢れすぎないように最善を尽くす。

 

私の場合、個性(癖)を消す努力をして初めて個性を知ることができるのだと思う。教える時も同じ事に気を使う。個性を消す事と、個性を殺す事とは、結果全く違う事になる。個性を殺すのはエネルギーを奪う行為。個性を消す作業とは、実は個性を活かす作業。個性を尊重しつつも、その目立ちすぎるアンバランスなエネルギーをバランスの取れた音に変換するためにする作業。まるでそこに何もストレスが無いかのように聞かせられるよう努力をするのだ。簡単そうに演奏するプロは、簡単そうに見えるまで、聞こえるまで練習する。実は内側では相当なエネルギー交換作業が行われている。職人技のように体が自分の思い通りに動くまで、そのエネルギー変換作業を内側で行なっている。「無くて七癖」というが、その作業をした後残ったものが、オリジナリティーと私は勝手に思っている。調整が難しいところが、個性。個性を取り去った、ピュアになり切った、、、思って残ってもまだ残されている物、それがオリジナリティーかな。「無くて七癖」本人が気がついていないだけで、誰でも個性を持っている。みんなちがってみんないい。

自分のオリジナリティー、生徒達のオリジナリティーを認可する。