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普通にあるという、有り難み

30年ほど前、ウイーンに引っ越しして間もないころ、それはまだ一人暮らしをスタートする前、借りる予定になっていた部屋が空くまでの3ヶ月大家さんの娘さんの家のリビングルームで住まわせてもらうことになった。その娘さんはある大きな会社の社内食堂のコックさんをしていて、2歳の息子(元ご主人はユーゴスラビア人だったが離婚された直後だった)の子守をポーランド人の女性に頼んで働いていた。ポーランド女性も出稼ぎで、私が一人暮らし用の部屋に引越しした後リビングに住むことになっていた。

このお母さんが、まだ何も話さない緑の目の、金髪の可愛いダニエルくんを叱る時、「これは普通じゃないからやっちゃダメ」みたいな言葉を発していた。そんなに怒るほどのことでもないのに、、、ノーマルじゃないって言うのは、どう言うのがノーマルなのか聞きたい衝動に駆られたが、ドイツ語を始めて数ヶ月の私にそれを聞く能力は無かった。

 

その彼女の働く食堂で出される食事の残りなどを分けてもらえることが多かったので、オーストリア料理は、かなり早いうちに経験できた。レバー団子のスープ、グラシュというパプリカソースのビーフシチュー(ハンガリー料理)、それから子牛のカツレツ、サワークラウト&ソーセージ、パラチンケン(これはクレープと一緒)などなど。

 

そしてそのポーランド人のベビーシッターさんのお料理も、たまにご馳走になることがあった。ヨーロッパは全部陸続きだし、歴史上、王政権も色々変わってきたので似た様な料理も多いのだが、このポーランドの長さ10センチほど、直径5センチほどの大振りのホームメイドロールキャベツが、日本を思わせる、当時の私にとっての、大好物になった。

その理由は、、、コンソメトマトスープで味付けされたその味は、母が作った味とそっくりだったからだ。母は、たまに冷凍のロールキャベツの時もあったが、それを温めたスープの味は同じ。ベビーシッターさんのルールキャベツが特別だったもう一つの理由はそのタネの中にはお肉とご飯が一緒に入っていたこと。もちろん実家ではお米は入れてなかったけれど、お米に飢えていたからか、それはそれは美味しく感じられた。オーストリアにはこの先6年ほど住んだが、一度もレストランでロールキャベツを見たことがなかったように思う。

 

そこで私は、多分自分の料理を一度も披露することなく、引っ越ししてしまった。材料もなかったので、作る料理、作れる料理、料理らしい料理はそもそも全くなかったのだが、ひたすら頂くのみ。海苔とわかめを持っていた気がするが、きっと美味しいと思ってもらえないことは分かっていたし、見せることもせず、次いつ手にはいるかわからない代物だったこともあって、ちびちびと節約しながら食べていた。時に塩漬けの瓶詰めのシャケに似た味の魚のフレークを具に、イタリア産のお米でおにぎりを作って食べた。数ヶ月もすると、美味しいと思っていたわかめの歯応えが、硬い噛み切りにくい違和感に変わっていった。

 

味噌、醤油、カレー粉、納豆、とろろ芋が特にごちそうだった。どれもこれも、今ロサンゼルスで手に入る値段の5倍くらいの値段だったと思う。ロサンゼルスは日本の1.5倍くらいの値段で日本食を購入できる。同じ頃、日本で修行僧だった従兄弟と、どちらがの暮らしが辛いかと、お互いに想像ては慰め合っていたが、結局日本食が貴重!!!というのはその後ニューヨークに住んでも似たようなものだったので、ロサンゼルスに引っ越すまで、日本食が貴重!と言う日々は続いた。そんな中で、お手頃に食べられる中華料理が、一番しっくりした。シラントロの味を知ったのも、この頃。スイスの直径1キロ四方の山奥の町に行った時も、中華料理屋さんがあった。

 

娘がドラえもんにハマっているが、今日見ていた話の中に

『ありがたみを知る道具』

というのが出てきた。お母さんのご飯をありがたいと思わなくて、外食したいと言って怒られたのび太くんに、ドラえもんがこの道具を出した。のび太くんは周りの空気を一瞬感じられなくされて、「空気のありがたみ」を知らされる。

 

子供時代、ピアノの練習をしないと楽譜を母に隠された。いつから楽譜がないのか覚えていない。全く練習していないからだ。レッスン前に慌てて探しても、見つからない。私の先生は「練習は家で、してきなさい。」と、うまく弾けないと言われた。最低でも譜読みを終わらせて、まずまず止まらないで弾けるようにして行かないと、本当に大変なことになる。学校が終わって帰宅後レッスン前の20分が勝負なのだ!!!あのお仕置きは地獄だった。大抵懲りずに1ヶ月に一度はあった。楽譜がある有り難みを知るのは本当に一瞬。私の子供時代に感じられた有り難みの一つ。

 

もう一つ、鮮明に覚えている有り難み、、、は、姉妹の存在。一人で留守番してテレビを見ていた時のこと。普段は姉妹で一緒に見ることが多かったが、「面白いねー」の相槌が返ってこなかったときの侘しさ、、、。親子は似ているのか、Vitamin Eが私が一緒に見ないビデオは面白くないのだとか。

 

 

子供の頃不眠恐怖症があった。何度も寝られない日は親に「眠れない〜」と泣きついたもの。大人になってから、ある友人から、「眠れなかったら寝なくても良いんだよ、きっと」と言われて気が楽になり、恐怖症はなくなった。そして今眠れない日は気が済むまで何かをすることにした。そうしたら疲れて眠くなってくるものなのだ。そして子供たちも、私が夜更かしなので、眠れないと恐怖に駆られる事もなく、泣きついてくる事もない。「寝なさい」と言っても、眠れない人は眠れないのだから、そのまま放って置く。

 

昨日体質的なものかどうか理由がわからないが、とにかく家族揃って寝られない日があった。翌朝気がついた事実なのだが、普段寝つきの良い夫まで。久々に全く寝付けなくて、そのうち眠くなるのを待っていたが、3時になってしまった。いよいよ心を沈めるハーブティーやらを飲もうと起きたら、夫がリビングで携帯を見て何かしている。9時くらいにはベットに入る早寝早起き夫。ベットに入ったら、3回深呼吸をしたら眠りに入るほど寝つきの良い人。でも、3時起きはちょっと早すぎる。きっと眠れなかったんだ、、、本当に珍しい。私はお茶のおかげか、その後すぐ寝て7時半の夫の出勤時間にセットした目覚ましで起きて見送り、また1−2時間寝た。そして子供たちは12時過ぎまで起きて来なかった。この頃起きるのが遅くなっているとはいえ、普段より数時間遅い。。。何はともかく、これが我が家の普通になっているので、私にとっては有難い。昼夜逆転とまでは行かないが、不眠症が普通にあると言う境遇に有り難みを感じた日。

 

不眠症に悩んでいる皆様!

あなたは、うちに来られたら普通です!

 

8月6日は、日本の原爆の日。日本とアメリカの間に75年もの間戦争がないのも、本当に有り難いこと。過去の悲しみを糧に、今ここに平和が普通にあるという有り難みを、決して忘れてはならない。