「教え方を教えてください」
「どうやって、生徒を育てているのですか?」
「どうやって生徒を練習させる事ができますか?」
これらの質問に、一言では応えられない。
これらの質問は、数十年前に自分自身が自分自身に対して、かつてしていた質問で、その答えを見つけるために、長い年月を費やし答えを探し求め、そして今もなお考え続け、答えを探し求めている事だから。
その質問内容の答えに少しづつ近づける様な、経験談を載せていきたいと思う。
今日のタイトル
『教える事は、学ぶこと事』〜教える立場としての、私なりの心得
『初心を忘るべからず』と言われる通り、あまりにも長く専門的にやりすぎると、音楽に触れた事がない新しい生徒、相手は初めて音楽に触れると言うことを忘れがちになる。教え始めたころ、何が難しかったかと言うと、生徒が何故分からないかが解らなかった事。そして、何故できないのか解らなかった事。
あまりにも自分が自然に出来てしまったことは、どうやってできる様になったか覚えていなかったり、始めた時期が小さ過ぎた場合も、どうやって始めたか全く覚えていない、、、と言う先生方も多いと思う。幼児教育を専門にされている先生方は、その点において素晴らしい。子供たちの脳の発達を理解して、それに合わせて音楽を教えていく事ができるからだ。私は演奏を大学で専攻してしまったので、その辺りは経験で学ぶしかなかった。
体を壊して(全身関節リューマチ)楽器を上手く操れなくなってしまった時期と、夫の転勤でNYからLAに引っ越した時期が重なり、教えるという仕事に必然的にたどり着いたと言っても良い。幸い子供たちの妊娠と出産を機に私の病は跡形もなく消え、体の不自由はなくなったけれど、演奏すると言う運動機能を元に戻すために、教えながらのリハビリで、正しく自分で自分に1から教えると言う感じになった事も、教える立場としては幸いした。
日本に里帰りした時は日本の楽譜屋へ直行し、今のトレンド?!と言うか今の音楽教育に関する本や楽譜を読みあさる。アメリカでは選ぶのが困難なほどたくさんの出版社から出されたたくさんの教則本を、とりあえず片っ端から買い集め、沢山の生徒と一緒に勉強した。いく種類も試しているうちに、それぞれの出版社の「傾向と対策」的なものが見えてきた。そして、それぞれの本から、生徒たちの視線で見る練習をしていくうちに、「何故出来ないか」「何が解らないか」、、、と言う事が見つけやすくなった。
それから、もう一つ心がけている事がある。
それは自分自身が、いつも新しい事に挑戦し、学び続ける事。
『自分を育てる事』は教える立場においても本当に大切な事だと思う。練習するという事は自分を育てるという事。これで完成という終わりはない。生徒たちにも、子供たちにも、そんな心掛けを願う。
今まで使ったことのない分野の脳を使うことは、大人も子供も難しい。「子供だから簡単にやってしまうでしょう」と言う大人の生徒さんも多いが、それはきっと大人は新しい事に慣れにくいと言うだけ。子供だから簡単にできるわけではなく、子供たちは本当に小さな不自由な手で、大きな楽器に挑んで頑張っている。子供は毎日新しい事に遭遇するのが常なので、そのストレスに強いだけ。
そのストレスや、まだるっこさを忘れないためにも、そして自分の未来のためにも、新しい事を学び続ける事が大事だと思う。相手の不自由な気持ちに寄り添う時に、お互いの理解を深める事がある。生徒を励まそうとして、「大丈夫、簡単だから」と言った時は「先生だからでしょ」と引かれてしまって、逆にやる気を萎えさせてしまった事もある。「私が子供の頃はこれが難しかったなー」と言って過去を話せば、生徒も「いつかはできる様になれる」と希望も持てるに違いない。
「どうしてできないの?」と先生に聞かれて、勿論わからないから応えられなくて、泣いたりした事も多かった子供時代。でも「いつかは先生の様になれる」と思わせてくれた私の先生方は、本当に素晴らしい。
自分の生徒が思う様に育たない、、、と言って教える事をやめてしまう先生方。もう一踏ん張りして下さい。生徒より先生が先にgive upをしては、生徒は進む道を閉ざされてしまう。
『継続は力なり』時間が解決してくれる事もある。