生徒からの便りが来ると、教えてくて良かった〜と思える瞬間がある。
子供がいない頃は生徒たちのお手紙をもらう機会も多かった。情の移りやすい私は、ベビーシッターをしても、その子たちと会えなくなることを想像して泣きそうになっていた。絵を描いてくれる生徒さんが多かったな。初めに教えていた学校はニューヨークのチャイナタウンにある塾兼音楽教室。私の教えていた土曜日は、朝から晩までそこにいる子供たちも多かった。交代でピアノ、算数、英語、中国語と教室を変わり、その一環で私のレッスン室にも来る。
そこは隣はリトルイタリー、小さな路地には小さなレストラン、小さなアジア食品を扱うお店、お土産やさん(偽物ブランド品が多く並んでいた)、魚屋さんが、なぜか、元も値段表に付いていた。
なぜそこで働く様になったか、誰の紹介だったか思い出せないが、働いていた日本食レストランも近かったのでハシゴしやすかったし、地下室の小さな小部屋が10室ほど並ぶ薄暗く汚い部屋は、いつも大繁盛だった。
そこで来る生徒は他の先生から回ってきた(というのもおかしいが、相性が悪くて継続出来なくて)生徒が多かった。私が初めて教えるという生徒も中にはいた。
隣の先生方の生徒さんはみんな上手で、いつも羨ましく、「どう教えたらあんな風に弾ける様になるんだろう」といつも盗みたい気分で一杯だった。毎年新しい生徒が他の先生から回ってきたので、その子供たちの弾き方や、その記入された注意書きを見て、教え方を盗んだ。
一番衝撃だったのは、ボスから言われた言葉
「もうちょっと生徒をキープする努力をしなさい」
年度の変わり目に生徒のリクエストを出さなくてはならなかったのか、自分の高飛車な性格から、媚を売ってまで自分の生徒でいてくれと頼むのはプライドが許さなかった。逆に、私を気に入ってくれた生徒は時間を伸ばしたいという。。。でもあの年齢、あの曲数で、あれ以上時間を伸ばせない、、、自分のキャパもなさ過ぎで、その手のリクエストも、何度も辞退させてもらった。
そして、「生徒をキープする努力」というのを、媚を売らない方法で、考えた。まだまだ成果は出なかったが。次の年はその言葉はボスから聞かれなくなった。教える時に体と心と音楽をつなげる、、というアイデアに辿り着いたのはその頃。今思えばバランスは悪かったが、その3つの観点から教えれば、教え方がわからない、、、という疑問からは解放された。
なぜだろう、、、とにかくロサンゼルスに引っ越す寸前まで、体を壊していた頃も、ビッコを引きながらも通った。
今もなぜかその頃もらった手紙を捨てられないでいる。そしてその頃、私の片言の英語で交わしたたくさんの会話が、いろいろ思い出される。中でも印象深いのは、「お母さんは中国語しか話せないから、私の言いたい事がわからないの、、、」と眼に涙を浮かべて話していた子供たち。言葉と親子関係の大切さ、、、外国に住む外国人たちの教育の難しさを、目の当たりにした。その音楽教室はワールドトレードセンターの南の地区にあって、9.11.2001 の事件の2ヶ月前にLAに引っ越してしまった私は、彼らの安否を確認していない。
今住んでいるのは、ロサンゼルス地区にある日本人が多い地区。日本語で教える先生を探していると言って私のところに来てくれる生徒さんも多い。長く同じ場所で住んでいて、音楽学校では無く、個人スタジオで教えているから、経営方針などで揉める事もないし、学校は英語で、習い事は日本語で、、、という希望が多い。
テストを受けさせたい、コンクールに挑戦させたい、地元のオーケストラに入りたい、ボランティア活動で音楽を使えるくらいになりたい、音大に行きたい、楽しく習うことだけを目的にしたい、女の先生がいい、、、などなど色々な要望を受け付ける事ができる。中には日本語を話さない生徒さんもいる。私の英語はどこまで行っても外国語だから、英語を母国語にして、日本語を話す子供たちに日本語で接する時、多少誤解が生まれる事もある。言語の壁は、どこにいても付き物だが、それぞれの感情に沿った言葉を使えるのが一番いい。それらを駆使してのユニバーサル言語の習得。
先日数年前にレッスンをストップしてしまった生徒のお母さんから、久しぶりに娘さんの事でテキストを頂いた。「コロナで家に篭る事が多くなったら、突然変異!毎日1〜2時間ピアノを弾き語り、ワンマンショーをしている」と。その生徒は高校生になったばかりの頃、当時は練習しない、時間がない、部活が忙しい、CMテストを受けないなら習わせる意味がない、、、という感じで、レッスンをやめてしまった。でも4歳からの下積みを経て、ちゃんとそれまでに音楽といううユニバーサル言語を習得してくれていた。音楽という言葉を自己表現のために使える様になっていたのだ。何よりも、嬉しい話。
なんでも強制されて楽しい事はない。時には怠けたくなることもあるだろう。人と比べてしまって自分には越えられない壁がある様な気分になる事もあるし、時には息抜きしたい事もあるだろう。そんな状況を全て受け入れて、強制にならない様に、なるべく励ますという方向で、将来自分を励ます道具になるかもしれない音楽と大事に向き合える様に、これからもレッスンを続けようと思う。
音楽は逃げない。自分が音楽から逃げてしまうだけ。
ずっとそこにあるわけだから、安心して、向き合ってみてください。