「あなたは夢を持っていますか?」
一言で言えるような夢は持っていないけれど、こう有りたい、、、という事は、ある程度プランしていると思う。そして何となく、時期は選べなかったけれど、それらは確実に現実化されていると思う。でも、それは描ける未来像としては本当に些細なもの。『案ずるより産むが易し』あれこれ迷っていたら、必ず父が言った。やってみなければ分からないよと。
「子供の頃、何になりたかったの?」
と、この頃よく娘達から聞かれる。10代の子ども達は、いろいろ将来を思い描き始める頃なのかもしれない。夢中になれるものに出会ったら、それをとことんやったらいいと思うし、やっているうちに違うのかなと思ったら、固執しないで興味を他へ広げていけばいいと思う。
「いつからミュージシャンになりたかった?」
特に勉強が好きではなかったから、遊びの一環の音楽が人生のメインになったら、それは楽しいだろうなと、中学の時に進路相談で決めた。でも、ミュージシャンになりたかったかどうかは疑問。そんな職業が存在することも知らなかった。高校、大学に進学してから、みんな目指していたから、それが普通になっただけ。
オーボエはあの濃厚な音色と、リードを作るっていうことに惹かれたから、オーボエの存在を知ったその日から、とにかく習得したかった。やればやるほど迷宮入りして、最近は妥協の連続。でもオーボエ好きの生徒達に出会うと、自分の昔抱いていたパッションを思い起こされて、幸せな気分になる。
「お母さんになりたかった?」
これもYes。
「女の子か、男の子か?」
それはどちらでもよかったが、妹達が可愛かったので娘でよかった。姪もまた可愛い。
「先生になりたかった?」
子供ができたら、家で働きたいと思っていたから、グリーンカードを持ってからの今の職業は好都合だった。
ピアノを習い始めた頃、妹達にピアノの先生ごっこをしていた頃もあったから、ピアノの先生になりたかったのかな。でもそれを意識したのは聞かれてからのこと。途中弾きたい曲も無くなって、興味も薄れたこともあったから、生徒が弾きたい曲が特にない、、、と言われた場合、ちょっと責任を感じる。
「Vitamin Eが『不思議ちゃん』って事をいつから知ってた?」
それは高齢出産の際行われる妊娠中羊水検査の代わりで行った超音波エコー検査で首の骨の長さを測った時、ドクターに「ボーダーライン」と言われていたから、ある程度は覚悟をしていたと思うと答えた。実際プリスクールでみんなと同じことがなぜ難しいのかは分からなかったが、それが「ボーダーライン」の意味だったのだと思う。
「人生は選択」
人が生まれてから死を迎えるまで、道は一つではない。だから一つの道が塞がってしまっても抜け道を探せばいい。自分の思ったようにならなくても、それを失敗だと思わなくていい。それはただの経験。思い描いたような景色と違っていただけ。計算したようにならなかっただけ。自分の思ったことが100%正しいかどうかも分からない。ゴール、行き先は同じなのだから、その間に起こった事は全て楽しめば良い。幸か不幸を選ぶのは本人の自由。そして事実は一つ。
「一日一生」
朝起きたら生まれたての自分を思う。何も先入観を持たず、経験した事を素直に喜ぶ。朝起きたら、コーヒーを飲みながら、ワクワクする1日のプランを練る。そして寝る前に今日一日楽しかったと思えたら最高の眠りを受け取る。過去はその日その日の積み重ね。
「未来計画・夢日記」
言霊、、、紙に言葉で書き出すことでそれが現実になる、、、。
20年くらい前に勧められて書いた「夢日記」がある。恐ろしいことに、それは今ほとんど現実化されてしまった。書いた当時は、「おまじない」程度にしか思っていなかったというのに。
これから20年後の未来まではちょっと考えられないが、余裕があれば、週単位、月単位、季節単位、年単位で、ビジョンを練るのもいいかも。
想像できる事は現実化できる。
そこに飛び入りの予定がを受け入れられるくらいに。
それがまた楽しい。