年齢はただの数字。
よく言われるし、自分もそう思うようにと心がけている。
でも思い方次第で有効利用ができる。
今日もレッスンで、もうすぐ7歳のお誕生日を迎える男の子が来た。歳の離れたお兄さん、お姉さんがいるから、多分自分を小さな子だと思ってる。レッスンメニューや練習メニュー、それから細かなことも、全て、もう時期7歳だから、きっと出来るよね、、、と励ます。(というか洗脳する)
ちょっと難しいことを挑戦してもらう時に、「大きくなったよ、だから注文が増えるよ!」と促すことにしている。5歳児でも、7歳児でも、10歳児でも、15歳のティーンも同じ。初めて半年くらいは、とにかく毎日楽器と触れ合う事が目標。そのうちそれが当たり前になった頃を見計らって、フォームを治したり、自分の嫌いな基礎練習なども、心がけられるように誘導する。ちょっとづつハードルを上げていく。その時に効く言葉は、「今のあなたにならできると思う」と。成長を見届けた上での発言。
自分の癖を地道に直すことは、結構自意識が必要なこと。
常にそれをキープするように努力するのは、かなり自制心を発達させる必要がある。
自意識を目覚めさせるための発言。「もう大きくなったから、きっとできるよね」
やりたくないこと、初めてのことは難しいから、みんな躊躇する。教則本も、挿絵がついていたものから、音符だけのものになり、音符の大きさもどんどん小さくなる。
一般の本読みに似ている。絵本から、文字だけの本になる。そしてどんどん長くなる。そこで尻込みさせないために、
こんな会話は、多分大学生くらいまで、通用する。大学生は早く一人前として認められたいわけだから巨匠と並べられれば、天にも登る気持ち。
「大人っぽい演奏になりたい」と常日頃から思っているわけだから。
何歳くらいから実年齢より若く見られたいかは、人それぞれかもしれないが、わたし個人的には、30を超えたくらいから、若く見られると嬉しいと思ったりしたな。
ただ教える立場では40位上の方がちょっと尊敬されて、生徒も「お姉さん扱い」から「お母さん扱い?そして、少しずつ先生扱い?」になって多少楽になったような気もする。そのうち「おばあさん扱い」に格上げの日が来るだろう。
コロナでしばらくお会いしていないが、先輩先生方はみんな綺麗にしていた。理由は
その格上げの日を、少しでも遅らせたいためだという。ちょっと納得。
大人の人(自分も含めて)、若く見られたい年齢の方々に対しては、今度は逆の言い方で励ます。
「実際科学的には脳細胞も筋細胞も神経細胞も鍛え続ければそれなりに発達するらしいですよ!」
「何もしなければ、そこは使われない機械と同じで動かなくなって行きますよ!」
「もし今始めていなければ、一生やっていないと等しいわけですから、始めたことに意義があります」
「何歳で始めても、今が一番若い!新しいことを習得するという点においては、ストレスは同じですよ!」
「体と脳はいつからでも1から鍛えられますから、自分の持っているものを最大限に有効利用し、今まで使っていなかった部分を育てましょう!」
そういう実験のためにも、自分の未開発の部分に惹かれる。
初めてのことは、誰でもある種の興奮と躊躇する気持ちが混ざり合う。
誰でも出来ないところを見せるのは恥ずかしいと思う。
誰でも出来なかった事ができるようになれば嬉しい。
筋トレに興味を持って、始めたいと思ったのもそのため。
ほとんど何も気にかけなければ座りっきりで1日を終えてしまう。
ちょっと買い物に外を歩くだけで、腕も足も次の日は筋肉痛。
そんな自分の弱い部分を見つけてそれをどこまで伸ばせるか確かめたい。
もちろん筋トレは自分自身の心身の健康のためでもある。
後何年、体を自由に動かせられるか、それもハッピーに。
そして筋トレの後は、ある種の日頃の仕事では味わえない身を持った達成感が味わえるのもいい。
残念ながら、教えること自体は自分の体験ではないから、なかなかその清々しい達成感が味わえない。
体を動かすと、若返った気がする?